変わる形と、そこにあり続ける想い

STORY

代表者の歩み

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看護の道へ

1975年、専門職である国立病院の看護師としてのキャリアがスタートしました。医療の最前線で国籍や文化の壁を越え、多くの患者様の命と向き合う日々。それが、私の人生におけるすべての原点です。

01

命の現場を率いる責任

その後、国立南福岡病院や国立東佐賀病院などで看護師長として勤務。障害を持つ子どもたちや患者様の医療・看護の現場では、チームを率いるリーダーとして、大きな責任と向き合ってきました。

02

実践から、探求へ

20年以上にわたり臨床現場で培った経験をより深く学術的に探求するため、1997年に国立病院を退職。その後、久留米大学で学び、佐賀医科大学大学院にて看護学修士を取得しました。

03

次世代を育む、研究者・教育者として未来の教育へ

大学院修了後は、福岡医療福祉大学の講師、純真学園大学、西九州大学の准教授として、次世代の医療・福祉を担う学生たちの教育に携わることに。認知症やグループホームの研究も行い、教育者・研究者としてのキャリアを築きました。看護師、研究者、そして教育者。働くうえですべてに共通していたのは「その成長を支えたい」という想いがあったこと。E&F JAPANは、この願いを形にするために設立されました。

04

原点にある「ファースト」の視点

POLICY

The most important person in this hospital is the patient.
”この病院で最も重要な人は患者さんです”

これまでのキャリアの中で、私はこの言葉に出会い、深く感銘を受けました。 
ともすれば、病院は医師や看護師の都合で、学校は先生の都合で物事が進みがちです。患者様や学生が二の次になってしまうことも少なくないのではないでしょうか。
そうではなく、本来最も重要なのは患者様であり、学生です。「患者ファースト」「学生ファースト」であるべきだというこの考えは、私の信念となりました。この思いに強く共感し、E&F JAPANの運営においても、常に「最も大切な人は誰か」を見失わないことを大切にしています。

看護の現場から、教育の舞台へ

MIND

人の「生」に向き合い続けた経験を、次の世代へ

「なぜ看護の専門家が日本語教育を?」と不思議に思う方もいるかもしれません。しかし、その二つは私の中で深く結びついています。

看護師長として命と向き合う中で痛感したのは、専門知識以上に“心のケアと安心できる環境”が求められるということ。それは不慣れな環境に置かれた人が健やかに生きるために必要だと気づきました。
病院の患者さんも異国の留学生も、不安の根源は同じ。臨床現場で培った観察力、傾聴力、一人ひとりに深く寄り添う姿勢は、私たちの教育の原点となりました。

「私の人生をかけ、日本で夢を追う若者たちの“生きる力”そのものを育みたい」——学校設立には、そんな強い想いが込められています。

その想いを形にするきっかけは、キャリアで出会った留学生たちでした。以前、経済支援や会社設立の手伝いをする中で、彼らから「日本語学校を作ってほしい」という真っ直ぐな要望をいただいたのです。 当時、民間法人で学校設立が可能とは存じ上げませんでしたが、彼らの熱い言葉に背中を押され、私は新たな道へと踏み出す決意をいたしました。

日々の支援から夢の実現まで。
E&F JAPANが育む「絆」という財産

臨床現場の「一人ひとりに深く寄り添う姿勢」は、学校運営にも息づいています。「学生ファースト」の信念で、常に「何か困っていることはないですか?」と学生たちに声をかけております。

日々の食器類や冬場の暖房器具が足りないと聞けば手配に奔走します。知人のご厚意で電化製品をいただいた際は、私ではなく、提供くださった社長様へ感謝の手紙を書くよう促しました。後日、その社長様から「留学生から手紙が届いたよ、ありがとう」と御礼をいただき、温かい心の繋がりが生まれる様は、大きな喜びでした。

この姿勢は、彼らが本校を卒業した後も変わりません。 卒業生が「日本で起業したい」という大きな夢を語ってくれた時、その可能性を信じて資本金等の支援をいたしました。彼は見事に事業を軌道に乗せ、今も活躍しています。
先日、その彼が「貿易会社を設立したい」と報告に来てくれました。そして、その大切な社名には、彼自身や家族と共に、感謝の証として私の名前の頭文字も加えてくれていたのです。まさか、そのような形で想いに応えてくれるとは思っておらず、その深い信頼に感涙いたしました。
学生たちとの絆こそが、E&F JAPANの何よりの財産です。